日本を代表する俳優・渡部篤郎さんとタレントのRIKACOさん。
今回は、2人の馴れ初めから結婚、子供や離婚理由についてお届けします!
渡部篤郎と元嫁・RIKACOの馴れ初めから結婚まで!
1994年3月1日、出会ってからわずか8ヶ月でのスピード婚となった渡部篤郎さんとRIKACOさん。
2人が出会う前、RIKACOさんは一般人と交際しており、彼との結婚も考えていたそう。
しかし、色々と不安が募り一回離れようとなったタイミングで渡部篤郎さんと1993年ドラマ『湘南女子寮物語』で共演し、運命が変わったのです!
ドラマの打ち上げでは”お互いにピンとくるものがあった”そうで、さらには渡部篤郎さんが口説いたことでグッと距離が縮まり交際をスタートさせました。
こうして2人は1週間後に同棲をスタートさせ、1カ月後には渡部篤郎さんの方から
「結婚を考えてくれないか」
とプロポーズし、RIKACOさんも二つ返事で「ハイ」と答えるスピード婚約でした。
結婚当時、RIKACOさんは年収1億越えの売れっ子女優でしたが、渡部篤郎さんは無名に近い俳優だったため、世間からは「格差婚」と囁かれていました。
ですが、結婚を機にドラマで主役を張る人気俳優へと上り詰めた渡部篤郎さんは、次第に周囲からも認められるようになったのです。
これについては、渡部篤郎さんの努力の賜物ですね。
そして、2001年には世田谷の住宅街に3億円といわれる新居を建て、順風満帆な結婚生活をスタートさせたのでした。
出会いから結婚までトントン拍子に進んだ2人でしたが、当時は格差についてそれぞれ思う部分があったのかも知れませんね。
渡部篤郎とRIKACOに子供は2人
渡部篤郎さんとRIKACOさんの間には、2人の息子が誕生しています。
それぞれが表舞台で活躍しているようなので、ここからは1人ずつ見ていきましょう!
長男:渡部樹也
名前:渡部 樹也(わたべ みきや)
生年月日:1994年11月25日(28歳)
出身地:東京
身長:185 cm
職業:俳優・演出家・脚本家
所属:Acepade
渡部樹也さんは、2013年10月にIN EASY MOTIONの舞台に出演し、その後も伊藤和重の出演助手を務めました。
2014年2月には、自身が主宰するHANDS UP(ハンズアップ)の第一回旗揚げ公演し、
『リリィの語り部』脚本・演出・出演を手掛け、その才能に多くの注目が集めます。
2014年4月、LDH主催・RIKACO主演の『カルセオラリア』鈴木役で舞台に立ち、俳優として演技の幅を広げ、2015年にはHANDS UP 第2回公演『ルキアの使い手』では脚本・演出・主役の3役をこなすなど、着実にレベルアップしていきました。
その後の活動歴は、以下の通りです。
- 2016年『イライザ~深海にひそむ初恋~』 村田 恒/小島梨里杏主演 脚本担当
- 2016年父より HANDS UPプロデュース 美術・脚色・演出担当
- 2017年~2019年 映画脚本執筆活動
- 2023年 2月3日~2月5日『どうか妹だけは助けてください』脚本/演出
次男:渡部蓮
名前:渡部 蓮(わたべ れん)
生年月日:1998年3月6日 (年齢 25歳)
出身地:東京
身長:183cm
職業:モデル
所属事務所:株式会社BUNNY LAKE STUDIO
渡部蓮さんはモデルとして国内外のショーや雑誌に出演し、NYLON JAPANなど数々のファッション媒体で活躍の場を広げています。
幼少期はRIKACOさんの希望でインターナショナルスクールへ通っていたため、英語での日常会話は難なく話せるそう。
また、最近では2022年 Apple TV+製作 『GODZILLA ゴジラ』モンスター・ヴァース実写ドラマシリーズへの出演が決定しており、役者としても期待が集まっています!
脚本・演出を手がける兄・渡部樹也さんとはまた違い、表舞台で活躍する渡部蓮さんの今後が楽しみですね。
渡部篤郎とRIKACOの離婚理由は?
2005年12月19日に離婚届を提出し、翌20日に別々で会見を開いた渡部篤郎さんとRIKACOさん。
離婚理由については、それぞれこのように釈明していました。
渡部篤郎:仕事に熱中しすぎている傾向があって、家族とのバランスがとれなくなった。彼女にストレスをかけた。
RIKACO:私の描く家庭像と、彼の求めていた家庭像、父親像が違った。最初は(渡部が)私の理想の父親像を受け入れて努力してくれたけど、だんだんバランスが取れなくなってきたんだと思う。
一緒に過ごすうちに、少しずつ価値観のずれが生じていったのでしょう。
離婚は渡部篤郎さんから切り出したそうで、RIKACOさんはしばらく受け入れられなかったそう。
しかし「これ以上彼を縛りつけてもいい結果にはならない。男としてやりたいことをしてほしい」という思いから渋々離婚を受け入れたそうです。
そして、この時RIKACOさんは離婚条件として以下5つを提示しました。
- 形式的な慰謝料はなし
- 親権、養育権は妻
- 世田谷の3億円豪邸を妻と子供たちに渡す
- 生活費や子供の養育費を支払う
- 週末は家族4人で過ごす
この約束はしっかりと守られているそうで、渡部篤郎さんは父親としての役目はしっかりと果たしたようです。
円満離婚とまではいきませんが、お互い納得した上での離婚だったようですね。
しかし、一部では渡部篤郎さんと中谷美紀さんの不倫が原因だったのではないかとの声も挙がっています…
渡部篤郎さんと中谷美紀さんは1999年のドラマ『ケイゾク』、2000年のドラマ『永遠の仔』での連続共演がきっかけで2000年あたりから交際が始まったといわれ、
いわば“不倫関係”にあったと各メディアで報じられたのです。
2004年の一時期、2人は関係を絶っていたと言われていますが、その後に復活愛を遂げ、周囲の目を気にしながらも2005年から同棲を始めたとしています。
2人はドラマの共演から10年以上の月日を重ねていたことから、当時は“ケイゾク愛”とも呼ばれていました。
これが事実であれば、中谷美紀さんが原因で離婚したという可能性も否めません。
しかし、結果的に渡部篤郎さんは中谷美紀さんと15年もの間”事実婚状態”を続けたのち、2016年に東京・銀座の高級クラブに勤めていた30代の元ホステスと再婚しました。
渡部篤郎さんの再婚について、RIKACOさんは「すごく祝福したい」と前置きした上で
お相手ができてよかった。この年齢でこの先一人で、介護は誰がするんだろうって(思ってた)。もし誰もいなかったら私がするのかなって
とコメントしていました。
2人の離婚には何か裏がありそうですが、こうして気持ちよく再婚を祝福していますので、関係が悪くなったわけではなさそうですね。
まとめ
今回は、渡部篤郎さんとRIKACOさんの馴れ初めから結婚、子供や離婚理由ついてそれぞれまとめてみました。
ドラマ共演をきっかけにとんとん拍子で結婚に至った2人でしたが、2005年に約11年もの結婚生活にピリオドを打った渡部篤郎さんとRIKACOさん。
現在は別々の道を歩み、それぞれが今を大切にしているようなので、今後のさらなる活躍を願ってそっと見守ってあげましょう。