女優の松坂慶子さんとジャズギタリストの高内春彦さん。
今回は2人の馴れ初めから結婚、子供や離婚の噂についてそれぞれお届けします!
松坂慶子と夫・高内春彦の馴れ初めから結婚まで!
松坂慶子さんと高内春彦さんの馴れ初めから結婚までの一連の流れをご紹介します。
馴れ初め
松坂慶子さんが結婚したお相手、高内春彦さんは1980年に渡米し、ニューヨークで自身のバンド「HIKO BAND」で井上信平と共に’84年にアルバムデビューを果たしました。
マイク・スターン、ジェフ・アンドリュース、ジャコ・パストリアス、ボビー・ブルームなどの仲間と共にセッション/ワークショップをNYの55barにて開始し、
その後55barを拠点として、ブルーノート、ミケルズ、ヴィレッジゲート、7th Avenue South、伝説的ライヴ・ハウスやアポロシアターなどのコンサート等での活動を展開。
こうして徐々に活動範囲を広げていった1986年ごろ、たまたまニューヨークに来ていた松坂慶子さんと出会いました。(※友人の紹介という噂も。)
2人は徐々に仲を深めていき、ウォール街を高内春彦さんに案内してもらったことをきっかけに「頼もしいな」と思ったことで結婚を意識し始めたといいます。
結婚に猛反対で”絶縁宣言”
ニューヨークでの運命的な出会いを果たし1991年に結婚となったわけですが、
当時の高内春彦さんはトップ女優だった松坂慶子さんとは知名度の点でも収入の点でも雲泥の差があったため、「格差婚」と取り沙汰されました。
そしてこの格差婚に猛反対したのが、
松坂慶子さんの父・英明さんと母・つね子さんだったのです…
取材に対して2人は
などと高内春彦さんへの憎悪を語り続け、当時は父・英明さんの手によって実家の表札から『慶子』の名がドリルで削り取られたほどでした…
しばらくは結婚を認めてもらおうと説得を試みた松坂慶子さんでしたが、あまりにも夫を悪く言う両親を許せず、1992年には絶縁を宣言。
その後、両親から逃れるように7年間を米国・ニューヨークで過ごしたのでした。
親子和解のきっかけ
長い間冷戦状態が続いた親子の雪解けのきっかけとなったのが、2007年12月の父・英明さんの死去でした。
亡くなる以前から松坂慶子さんは英明さんの介護をするようになったのですが、結局高内春彦さんと和解することなく…
しかし、この頃から母・つね子さんも寄る年波には勝てず、次第に松坂慶子さんと高内春彦さんに頼るようになっていき、2012年秋ごろからは同居するようになったといいます。
「つね子さんも90代後半になり、ほとんど外出することもなくなりました。着替えなど日常生活についても、松坂さんや高内さん、それにヘルパーさんたちが介助しています。
訪問入浴サービスも利用していますが、スタッフへの応対や誘導などを高内さんがやることも多いそうです。『西郷どん』でも九州ロケがありました。特に松坂さんが仕事で地方にいるときなどは、つね子さんの介護は高内さんが差配することになります」
引用元:女性自身
高内春彦さんはあれほど罵倒されていたのにも関わらず、献身的につね子さんをサポートし、さらには仕事と介護で疲弊しきった松坂慶子さんを支えていたそう。
それから約9年に渡り介護を続け、つね子さんは2021年春に亡くなりました。
結婚を反対していたものの、つね子さんも高内春彦さんには感謝の気持ちでいっぱいだった事でしょう。
家族全員で仲良くすることは叶いませんでしたが、絆が生まれたことに違いありませんね。
松坂慶子と高内春彦に子供は2人
松坂慶子さんと高内春彦さんの間には、女の子が2人誕生しています。
1992年/長女・百音(もね)
1994年/次女・麻莉彩(まりさ)
写真は2008年に、NHK教育テレビジョン「3か月トピック英会話「赤毛のアン」への旅〜原書で親しむAnneの世界〜」で親子共演した時のもので、
右が当時16歳の百音(もね)さん、左が当時14歳の麻莉彩(まりさ)さんです!
2人がテレビに出演したのはこの1度きりで芸能活動を行っているわけではないようです。
前述したように松坂一家は一時期ニューヨークで過ごしていましたので、娘さんたちは生まれも育ちもニューヨーク!
芸能人の子供という偏見なしに、のびのびと生活していたようです。
現在はおそらくそれぞれが家庭を持ち、一般人として密かに暮らしているのでしょう。
松坂慶子と高内春彦の離婚の噂は?
今年で結婚33周年を迎える松坂慶子さんと高内春彦さんですが、現時点で「離婚」や「不仲」といった悪い噂は見当たりませんでした。
松坂慶子さんの両親を介護していた時のエピソードを見るに、お互いに支え合い、辛い時期も乗り越えてきた仲ですので、そうそう離婚することはないのではないでしょうか。
高内春彦さんは家事や育児もまめに参加してくれるようなので、女優業で忙しい松坂慶子さんもかなり助かったことでしょう。
子供も巣立ち介護も無くなったということで、これからは2人の時間を大切に過ごしていってほしいと思います。